『ローマの教室で~我らの佳き日々~』

高校生を指導するような物語だと思っていたら、実は先生の方に焦点を当て、彼らが生徒たちと向き合うことによって起こる化学変化が主題です。 オープニングから、アメリカ映画や邦画には無い雰囲気が漂う。これぞヨーロッパという感じです。 冒頭は偏屈なフィオリートの「これが私だ」というナレーションで始まるが、彼の一人称で物語が進む訳ではなく、このナレーションはここだけのものだった。 それにしても授業の内容が日本とかなり違うのにはびっくりする。 暗記を中心にした詰め込み型ではなく、国語の授業であっても詩の暗唱だけでなく、哲学的な講義も行っている。教室でちょっとやんちゃっぽいチャッカであっても、隔行韻とかいう詩を作っていたし。 こうやって論理的な思考の訓練を行い、暗喩や比喩が上手くなる訳だと納得です。 面白いのはそれぞれの変化の仕方。 まずジュリアーナは、教えるのは学校の中だけでという考えの持ち主で、それをジョヴァンニにも求めます。 しかし行きがかり上自分が面倒を見ることになった、母親に何回も逃げられている生徒については、その世話の殆どが学校の外で、彼の入院の手続等までして、その後も何くれと面倒を見ることになります。 その生徒がジュリアーナに求めた差し入れの中に漫画があり、日本の漫画文化がイタリアでも浸透していることが窺える。しかし「らんま1/2」はわかるが、「ヘンタイ」という漫画があるのか『まあ、ありそうだが』についてはわからなかったです。中古車査定 一括査定プラチナム